断捨離(中骨的哲学)
【本日のお品書き】
約2年前になるかなぁ。
『でも』『だって』というふたつの言葉を捨てた。
最初のうちは意識していないとつい出ちゃうことがあったけど、今では無意識でも出ることはなくなった。
その効果はというと、人間関係のストレスが明らかになくなった。
『でも』『だって』は言わなくても相手に伝わってることが意外に多いし、言ったところで素直に受け入れられることは少ないなって、以前からなんとなく感じてはいたけど、つい言ってしまってた。
その結果、さらに嫌な思いが増してた。
ストレスフリーな生き方を目指して、物やら言葉やら身の回りの断捨離をし始めたんけど、このふたつの言葉の断捨離は効果がすぐに現れて、やってよかったなって思ってる。
やりたいことをして生きていくにはたくさんの壁がある。
『普通』を好む日本人にはなかなか認めてもらえないから、『普通』に対応してたらストレスを感じる機会が多い。
『普通』は安定じゃない、正解じゃないんだって思ってたから、これを機会に『普通』も捨てた。
大切なものは目に見えないもの。
捨てるべきものも目に見えないものだった。
ってかね、
そもそも『普通』って何だ?
↓『普通』という縛りが生み出すもの
↓中骨的手仕事